私の実家は福岡県の南東部に位置する。
私にとっての家族とは七人のことであった。
父、母、祖父、祖母、弟、妹、そして私。
私がハタチまで、この七人ひとつ屋根の下で暮らしていた。

父は、長年営業マンで、一時は東京にも勤めていた。紆余曲折あって最後は介護の仕事をしていた。母が体調を崩した時にはずっと世話をし、その後も祖父母の面倒を見ていた。今も実家で元気に暮らしている。

母は、いつも明るかった。母の実家は温泉旅館で近所だったのでよく風呂に連れて行ってもらった。私が小さい頃は専業主婦であったが、いつの頃からか近所の老人ホームで働くようになった。五年前にガンで亡くなった。母の声と、美味しかった手料理のことを今でも思い出す。

祖父は、戦中は幸い前線には行かなかったようで、戦後は家業のタオル工場に勤め、昭和二十八年の水害で工場が流された後、長年タクシードライバーをしていた。日曜大工、今で言うDIYを得意としていた。晩年は膝を悪くしていたが、意識は最期まで明瞭であった。

祖母は、実家でタバコ屋兼米屋兼クリーニング 屋を切り盛りしていた。裁縫が得意だった。亡くなる数年前に脳出血を患い、その後は通常の会話はできなくなった。近しい人の名前や昔の事をしゃべっていたが内容はチグハグだった。

弟は、大学卒業後、地元で公務員を務めている。
妹は、東京近郊で看護師として働いている。
私は、就職で上京し、数年で会社を辞め写真を志した。

母が亡くなり、祖母が亡くなり、祖父が亡くなり、我々兄弟は皆実家を出て、七人が暮らした実家にも、今や父が一人で暮らすのみとなった。

昔は気がつかなかったが家族からいろいろな影響を受けて育ってきたのだと今更ながら思う。自分で言うのもおかしな話だが、曲がったことが嫌いなところは父から受け継いでいる気がするし、一度工学方面に進学、就職したのは祖父の影響かもしれない。写真を始めたきっかけは間違いなく父から一眼レフを譲り受けたことだった。

正直に言って、自分にとっての家族の形もいずれは変わっていくだろう。
だからこそ、この七人が一時でも家族であったことを記録として留めておこうと思う。
Back to Top